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到着して初日にいきなり大量の情報を与えられること自体は仕方のないことだし,それで願うところの仕事を果たせるならば結構だ。今日は飛行機の中でしっかり眠ったのでおそらく徹夜でも良いのだけれど,と思いながら外交官は広げたノートパソコンの右下をちらりと見る。時刻はこちらの23時で,まだ彼が来るには早いのだろうか。
そもそも来るかどうかも分からない相手だ。こちらのことはマーキングしておいて,自分が縛られるとなると途端に嫌がるあたりわがままだと思わないのだろうか。あのフリーライターときたらギブアンドテイクのテイクが多すぎやしないだろうか。
などと思いつつも外交官だって無理にフリーライターを自らのそばに置いたり束縛するつもりは毛頭ない。彼の審美眼は優れているから,気に入ったものにしかすり寄らない。その彼が,会うのに間はあっても必ず自分を選ぶこと,わざわざつけたマーキングを外そうとしないこと,それだけで外交官にとっては十分な証明だ。
もっと若い頃ならばそのフリーライターの気紛れな性質を恐れたかも知れないけれど,長いつきあいでそうそう物事を失わなくなった自分にとっては,十分なのだ。
彼が殊更この部屋に来るのに予め携帯電話で予約を入れたりするわけもないし,廊下は絨毯敷きでもさすがに部屋の前で立ち止まれば分かるし,外交官はさて,とノートパソコンを閉じる。
存外,正面から扉をノック。
大股になるのは仕方ないと思う。だって彼が逃げるかどうか本当は不安なのだ。どれだけ彼はもう自分を選んでいると分かっていても。
「来たよ」
がちゃり,扉を開けると不機嫌そうなフリーライター。さっきカフェであったときのあの可愛くない笑顔はどこへ置いてきたのか,と考えて,ああ,と気づく。片耳ピアスの男にぶら下がる可愛い男を装えば,外交官をカフェで噂の人に仕立て上げられる,とでも言ったところか。
「ああ」
「なんで最初っからツイン取ってるの?」
「不測の事態に備えてだ」
「僕は不測の事態?」
「さあ」
機嫌を損ねてきびすを返される前に,腕を掴んで部屋にフリーライターを引き込む。鍵とチェーンを掛ければ,にこりともしないでフリーライターは言った。
「逃げやしないよ」
「どうだか」
フリーライターは勝手に言いながら部屋に上がり込み,上着をハンガーに掛けて荷物を放り出す。そこへ来てゆるゆると歩み合った外交官と目があって,ようやくフリーライターがすこしだけ唇の端を上げた。この男が作る中にしては,可愛い笑顔だった。
あとは衝動のままだった。キスをして,フリーライターが拒絶もしないので,そのままぺろりと唇を舐めてみる。目尻がほんの少し垂れた。ああ,可愛い,と思ったけれどももう今更口にする仲でもないので黙っておいた。
「せっかちだね,まだ何の話もしてないのに」
「悪いか?」
キスの合間に,フリーライターが揶揄する。その言葉に非難やらそう言うのはないと思ったけれど,どうリアクションをされるか興味があって,外交官は尋ねた。
フリーライターは首を小さく横に振った。長い腕を外交官の首の後ろに回してくる。とらわれたのか,とらえたのか,もうどちらにしたって,二人でぐずぐずとした関係に捕らえられていることになんか変わりはないし。
「すごく,良い」
そんなことを言って煽るフリーライターに,してやられた,と思いながら,外交官はその背中に手を回すのだった。
「はい,いつもの」
事後いきなり立ち上がって,ソファーに放り投げられたシャツを回収してもぞもぞ胸ポケットを漁ったかと思うと,もう一度柔らかいベッドに身を投げ出しながらフリーライターは外交官に小さな箱を渡してきた。
「ああ,助かる。ありがとう」
「鞄のなかにカートンもあるけど後で良い? 動きたくない。久しぶりなのに無理させないでくれる? この絶倫」
「構わん。褒め言葉か?」
「ばっかじゃないの」
外国の煙草も結構なのだが,結局外交官に最もなじみがあるのは国産の煙草だと,外国ものを渡り歩いて結論が出たのだ。それ以来外交官はフリーライターに好きな銘柄を会うとき渡して貰うように頼んでいる。
いつ会うか分からない仲だけど,と首をひねったフリーライターも,妙に律儀にその約束を果たし続けてくれている。
むしろ切れる頃にいつも会いに来る,なんて思わない方が良い,とさすがに外交官も理解している。そこまで,青くないのはお互い様だ。
ベッドサイドのテーブルに置かれたマッチに火をつけて,煙草を燃やす。ベッドが燃えると困るのですぐそばにあった椅子に座った。仮に自国が喫煙後進国でも,そこに誇りを持っていればそれで良い。
深く吸い込み,はき出す。ほんのすこしの苦みだけの軽い煙草,が落ち着いても良いだろう。
「一口ちょうだい」
「吸うのか?」
「さあ」
ベッドに転がったままフリーライターが要望してくるから,とりあえず吸いかけを差し出す。フリーライターは吸い口に軽く口をつけた。徐に顔をしかめる。
寝たばこを注意しようとした外交官の方に,フリーライターは無愛想に手を差し出して煙草を返してくる。灰が落ちないようにそれを受け取ると,疑問を口にした。
「何を?」
「君と間接キスでも,と思ってね」
相変わらず可愛くない顔をしながら,そんなことを言うなんて。
たまらず吸いかけの煙草の先端を灰皿に押しつけてもみ消して,転がったままのフリーライターに覆い被さる。たばこくさい,という文句は無視して,もう一度キスをする。
「まだしたいならばそう言えばいいだろう」
「どんな都合の良い解釈でそうなったの」
「さあ」
文句を垂れて,不機嫌そうで可愛くない顔をするくせに,その目尻がすこしだけ垂れて赤いから,この男を手放せないのは自分の方だな,と外交官は思った。
*
今回のタイトルはエキサイト先生にお願いしました。多分大丈夫だと思うんだけどな……。